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2012年06月02日

五月晴れの日に

林業と言うと真っ先に思い浮かぶものは「木」ですよね。
今日はその「木」の子分、椎茸のお話です。

五月晴れが心地よい日に、春期最後の椎茸の収穫をしました。
2年前に原木にドリルで数カ所穴をあけ、菌ボールを埋め込んだものがようやく収穫の時を迎えたのです。
五月晴れの日に

こんな様子、どこかでご覧になった方もいらっしゃるかと思います。
椎茸達は元気いっぱい、ニョキニョキ大きく育っていました。
五月晴れの日に

さぁ、収穫です!!!
手持ちの篭は何故かスーパーマーケットのアレですが…そんな事は気にしていられません。皆で黙々と摘んで行きます。
五月晴れの日に

my 椎茸!!
五月晴れの日に

ふざけている時間はありません。今回は4人で20キロの椎茸を採りました。
形の良いもの、際立って新鮮なもの以外は全て乾燥させ、干し椎茸になります。大体1/10の重さになるので今回は2キロ分の干し椎茸が出来上がります。
我が家では1キロ3000円で業者さんにスライスや乾燥をお願いし、全て自宅用としてお世話になっている方などにお裾分けしています。
他にお茶も作ってはいるのですが、こちらも全て自宅とお裾分け用。

山を育てる、木を育てると言う事は、とても長い時間を要します。
祖父が口癖の様に言っていた「ちーちゃん(私)の代になったら良い木になっているよ」の意味。林家として山を守る意味。山は私にとって祖父の面影が見られる場でもあります。
父は境界を分かり易くするためにGPSを取り入れたり、時代にあった木材搬出の為に道を通したりと夢中になって山仕事をしています。自宅は市街地にあるので、毎日片道1時間掛けて通う努力。それは全て「この山をより良い状態で後世に残したい」と言う切なる願いがあってこそのものかと思われます。

山は動きません。
せっせと人が動き、育み、守るものだと私は思います。もちろん原生林や自然そのままの山もなくてはならないものですが、一度人間が入り、恵みを受けた山にはやはり恩返ししなければ。「山が荒れる」自然のままではあまり起こりませんよね。そこに人がいるから起こっているのです。
山や木々は大きなもの。しかしとても脆く、儚いものでもあります。植樹をしても芽を摘まれてしまっては、日光があたらなかったら大きくなれません。
山も人も互いに共生しているからこそ「林業」という職があるのではないでしょうか。

スーパーマーケットで椎茸を見たら想像してみて下さい。
その何の変哲もない椎茸が、実は選りすぐりの1つだと言う事を。
その椎茸は長い時間をかけて山を育てている人間にとって、毎年得られる宝物だと言う事を。

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Posted by 林業女子会@静岡 at 18:18│Comments(0)
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